派遣229日目タンク増設


相変わらず水が出ない。教員用住宅の水道のメーターを見ると水は来ている。しかし、各家までは水が来ない。


昨日から水道のタンクを増設工事を行っていて、どうもそれが完了するまで水が出ないっぽい。


昼ごろにはタンクはすでに設置されていたもののにまだ水が出ない。教員用住宅の作業員(trabalhador)に聞いてみると、タンクに水を吸い上げるポンプに電気がまだ供給されていないので水がでないとのことだった。


休日ではなく、平日にやってほしかったのが本音だけれども、今後の水不足が改善されるのであれば仕方がない。




この日はカレル・チャペックの「山椒魚戦争」を読む。この本は佐藤優の著書「獄中記」の中で紹介されていて興味を持った。
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あらすじは以下の通り

人間が道具と言葉を使うことのできる山椒魚を発見

最初は真珠採りに使う

真珠採り以外にいろいろとできることが分かり、海底の工事などに利用する

山椒魚の数が増え、人間並みの知識を持つ者もあらわれる

山椒魚がさらに増える。生活できる区域を増やすため、人間に物資等を要求

人間側はそれを拒否

山椒魚側から報復を受ける

といった内容。

山椒魚が増えていく際に人間がとりうる行動が細かく書かれていたのが印象的。国家や教会といった団体ごとに山椒魚への対応が異なる点が山椒魚の持つ単一性、無個性をさらに強調していた。いや、山椒魚の無個性性が人間の不統一性を強調していたと言うべきか。山椒魚によって人間は滅ぼされるのだけど、その一因として人類が統一した対応をとれなかったことが原因として挙げられている。ある国が山椒魚によって海に沈められている中でも、経済を保つため山椒魚側に爆薬や魚雷などを提供している国家があったりする。人間の最終的な敵が人間自身であるというジレンマを見事に描いた作品だと思う。


佐藤優も書いていたけど、山椒魚の言語能力についての記述が日本人を想起させた。

山椒魚は外国語を、比較的気楽にそして熱心に学ぶのだが、彼らの言語能力には奇妙な欠陥があった。それは一つには、発声器官の構造によるものであり、一つには、どちらかというと、心理的な原因によるものだった。たとえば、彼らは多音節からなる長い単語を発音するのが困難で、一音節にちぢめようとし、短く、すこしばかり蛙の鳴くような声で発音した。rと発音するところをlと発音し、歯擦音の場合は、心持ち舌足らずだった。文法上必要な語尾を落としたし、「私」と「われわれ」の区別がどうしても覚えられなかった。彼らには、ある単語が女性であるか、男性であるかは、どうでもいいことだった。


イタリア語やフランス語などのロマンス語系の言語を習う日本人に見事にあてはまる。ポルトガル語の場合、bとvの発音の違いもrとlの違いと同様に難しいということがさらに加わるだろう。