派遣335日目リビングストン〜ルサカ
長距離バス乗車
朝5時半に宿を出発する。バス停までは歩いて10分ほどの距離。人もまばら以上に暗いことが安全対策上まずいと思った。モザンビークだとこの時間はもう陽が昇っている。タクシーも走っていないので当初の予定通り歩いて移動した。サンダルではなく、スニーカーを履いて気を引き締める。
幸い、人に襲われることはなかったけれども、バス停まであと50mというところで猛烈な雨が降ってきた。3分でも出発するのが遅かったら、本当にずぶ濡れになっていたと思う。
This is it
バスに乗り込む。1列5シートのバスのチケットを購入したけれども、実際には1列4シートだった。1列4シートの方は値段としては10000ザンビアクワチャ(約2USドル)高いので得した。乗客が少ないので、若干高級な方に変更になったのかもしれない。
バスにはDVDが設置されていて、故マイケル・ジャクソンの映画「This is it」がやっていた。自分はマイケル・ジャクソンのファンでもないし、リアルタイムで見ていないのでその凄さが感覚として分からない。映像を見たのは15分ほどだったけれども、音声がほとんど聞こえなかったので動きだけだったけれども、かなり引き込まれた。次観るときはフルタイムで観たい。
出発
いよいよ出発。雨の勢いは衰えない。自分と同じ東洋人のバックパッカーのグループががずぶ濡れの状態で入ってきた。
リビングストンの滞在日数を伸ばしても、この天候だと十分アクティビティを楽しめない。旅行する時期が悪かったということか。
ルサカ〜リビングストン間
ルサカ〜リビングストン間は道の状態が大変良かった。その分、バスもスピードを出して走ることが出来る。
アフリカに来て初めて道路に舗装が大事な理由が実感出来た。
舗装していないとスピードが出せない
↓
スピードが出せないと移動や物資の輸送に時間がかかる
↓
輸送に時間がかかると、燃料代、人件費がその分余計にかかる
ということ。日本は車が多いので、渋滞でその利点を殺しているような気はするけどww
あと、印象的だったのはメイズ(トウモロコシの一種)の畑が日本の畑のように整えられていたこと。モザンビークだと畝とかなく、雑然と栽培している(自然まかせ?)にしているだけだけど、きちんと畝があってメイズが1列1列整然と並んでいた。旧宗主国のイギリスとポルトガルの違いなのかザンビアが特別なのかは分からない。これは他のアフリカの国に行って確かめたいと思った。
あの緑に溢れた風景を見れば、日本人のアフリカに対するイメージが変わると思う。自分の知っている日本人の中にはアフリカがすべてサハラ砂漠のようなところだと思っている人もいるくらいなので。
それにしても工場とかが全く見当たらない。やはりこの国も工業製品に関しては不得手なのか。
インターシティ
7時間ほどでルサカのインターシティというバスステーションに到着。ここにはザンビア各地を往復するバスが集まる。インターシティはモザンビークの砂利の青空駐車場と違って、きちんと舗装されていて、屋根もある。バスが所狭しと並ぶのは変わらないけどバスのレベルが違う。ボロボロな中古バスはなく、日本の観光バスのようなペイントが施されたバスが数多くあった。
バスを出た途端にタクシー運転手と思われる複数のザンビア人から「JICAドミトリー」と声をかけられる。どれだけJICAが有名なんだよwww、と思う。バスを乗ってザンビアを旅行(移動)する東洋人はバックパッカー以上にJOCVということか。ザンビアの隊員派遣の歴史の長さを感じる。あとで聞いた話だと今年で派遣開始から40年とのこと。
同期のザンビア隊員Kさんに電話をして合流をする。Kさんの任地は首都ルサカではなく、モングというアンゴラとの国境に近いザンビア西部の都市。ルサカからはバスで8時間ほどの距離にある。今回は首都に買出しに行く用事があったらしく、それに合わせて今回自分のルサカのアテンドをしてくれることになった。
ザンビア隊員連絡所
最初Chachacha Backpackersというバックパッカー宿に泊まる予定であった。ちょっと見てみたけれども微妙な感じであった。リビングストンにあるバックパッカー宿の方がレベルが高い。
そこから2軒隣にあるザンビアJOCVの隊員連絡所(ドミトリー)をKさんの案内で見学してみると、ちょうど自分が泊まれるだけの余裕があったので宿泊させてもらうことにした。ドミトリーにいたのは21年度3次隊と短期ボランティアとして赴任を待つ隊員が数人。
余裕というかモザンビークのドミトリーよりも全然広い。4つの家の壁を抜いて、一つの住居にしていたのでまず部屋数が多い。
- 台所 2
- 宿泊用の部屋 6(男性部屋3、女性部屋3)
- バス兼トイレ 3
- リビング3
- 図書室 1
- 洗濯室 1
といった感じ。そして他のルサカの住居と同じく庭が広い。
大量の隊員を宿泊させるために部屋1つに2段ベッドが7つ入っていた。そこまでベッドがあるにも関わらず、隊員総会等で集まるときは床で寝なければいけない人もいるらしい。図書室には本や日本文化を紹介するグッズが豊富にあった。
ラーメン
Kさんとドミトリーにいた21-3のTさんと一緒に食事へ出かける。向かったのはGolden ChopsticというJICAザンビア関係者もよく利用するという中華レストラン。ラーメンがあると聞いて速攻で決定した。モザンビークの中華レストランにはないメニューなので。
その他に麻婆豆腐と餃子を注文した。どれもおいしい。
JICAザンビア事務所
KさんがJICA事務所に用事があるというのでついていくことにした。
やはりここでも驚かされる。事務所といっても、ビルに入った事務所ではなかった。表現しにくいけれども、大使館のように一つの邸宅(日本の一軒家など比較にならない)を事務所にした感じ。駐車場も併設されていて20〜30台とめられるだけのスペースがあった。
駐車場の横で村落開発普及員隊員のバイクの運転審査などを行うらしい。
事務所の中に入って、調整員の方に挨拶。現在モザンビークのボランティア調整員Hさんは以前ザンビアの調整員だったので、それ関連の話題で話がはずんだ。
事務所に入ってみて、JICAザンビアの歴史を感じた。オフィスも広いし、ローカルスタッフの数も多い。資料室だったり、会議室、インターネットコーナーなど隊員の活動をサポートする環境がいろいろ整っているのがいいと思った。
同期サッカー隊員宅
Kさんとスーパーでビールを購入した後、ルサカ市内の同期のK2さんの家に行く。
内陸国のザンビアでは貴重な冷凍の海鮮を利用したお好み焼きをふるまってくれた。1年ぐらいブランクがあったけれども、NTC(二本松訓練所)にいたときと同じように楽しく会話出来た。
Kさん達にザンビアは隊員が多くて大変ではないのかという質問をした。モザンビーク国内外で日本人同士の付き合いでつかれている人のことをを聞いていたので。モザンビークも6月には隊員の数が現在の20人程度から50人程度まで増えるので、どうなるのか分からないところがあったので。
しかし、Kさんが「人数が増えることで自分の味方も増えるからそんなに心配することはない」と言ったのを聞いて、ポジティブに捉えればいいのだなと思い安心した。
食事の後、3人でTVのサッカー放送を観る。K2さんはサッカー隊員として去年までザンビア一部リーグのコーチを務めていた。今年からザンビアのサッカー協会で働いている。わざわざテレビを購入してケーブルテレビに加入してサッカーをテレビで観るのは仕事の一環だと言っていた。