派遣346日目東ティモール


午前中、配属先で全体会議があった。


会議中に連絡先共有のため名簿がまわってきた。名簿には名前、電話番号の他に出身大学や生年月日を記入する欄があった。情報学部長Ms.Aliceの欄を見て驚いた。彼女は1980年3月生まれで自分と学年が一つしか違わない。今まで30代と思っていたのに。外国人の年齢ってわかりにくいなと改めて感じた。

名簿を改めてみると、国際的な職場だなと感じる。国籍を並べて見ると

とバラエティ豊か。日本の企業でも外資系かSONYTOYOTAのような大企業でないとこれを越えることはないと思う。


会議は一昨日、昨日と行われた情報学部の会議と同じくポルトガル語で行われた。途中わかりにくいなと思っていたらMs.Dawndraが「What's going on?」と聞いていた。彼女はアメリカ人でモザンビークの滞在年数もポルトガル語の能力も自分より高いけれども、会議の内容が分からなくなっていたので少し安心した。


肝心の会議の内容は鍵の管理について。今までのように各個人が責任を持ってもつか。その責任者が不在のときでも大丈夫なように受付で一括管理するかということが議論になっていた。



午後、机を移動した。情報学部の教員と同じ部屋に移る。扇風機が近くにないのがイタイ。この状態が続くのであれば、自腹で購入するしかない。


学生からの去年の科目の問い合わせ(クレーム?)が続いたので少しばかり調べてみることにした。自分が使っていた古いPCの中に学生たちのアサインメントが入っていたので中身を調べて見ることに。すでにゴミ箱からも消えていたのでデータリカバリーソフトを使ってみてみた。調べてみると残念なことに学生Edelsonの分は確かにあった。今まで発覚しなかったのは、自分の名前をフォルダにつけるように指定していたところにファーストネームではなくミドルネームをフォルダの名前に指定していたから。


フォルダの名称に関するルール違反とはいえ、0点にするわけにもいかない。とりあえず、何かしら対策を打たなければならない。


昼ごろD社のYさんから電話があった。Yさんはペンバとイニャンバネ州マシンガでODAによる医療系の学校建設に関わっていた。今日モザンビークを発つので自分への別れの挨拶であった。結局マシンガで会うことはかなわなかったので名残り惜しい。Yさんの次の赴任先は東ティモールモザンビークと同じポルトガル語圏。しかしながら、Yさんによるとインドネシアの影響が強くインドネシア語か現地語が支配的らしい。どんな場所かは分からないけれども、このプログラムが終了後に自分が行きたいところのリストには入った。



余談として、この日の昼は配属先の大学でただ飯にありつけた。キリスト教系の団体が大学のホールを借りて集会を行っていて、参加者にビュッフェ形式で昼食が振舞われていたのに便乗した。最初は不審な目で見られたけれども大学の教員だといって受け入れてもらうことができた。