派遣450日目JICA調整員方式

JICA調整員方式

学生Mengueが自分のところに相談にやってきた。内容は昨日の欠席について。自分のところに学生が来る場合、残念ながら授業内容に関する質問よりは、成績処理に関する相談の方が多い。


学生Mengueは第1学年の学生で英語がおぼつかないため、配属先の公用語である英語ではなく、ポルトガル語で全面的に話してきた。概略は分かるもの、いまいち要領を得ない。正確に要求を聞き出すことが難しいと思ったのでモザンビーク人講師Mayerに訳してもらうよう頼んだ。要件としては、彼の親類が亡くなったので、昨日の欠席した分についてはカウントしないようにしてほしいとのこと。少し分析すると、ポルトガル語で葬式という単語を思い出せなかったので話がクリアーにならなかった。


時間をかければ分かったかもしれないけど、話しているうちにお互いにイラついてくるので実行はしない。このような英語が分かる現地人を使ったコミュニケーションはJICAのボランティア調整員が得意としているので「JICA調整員方式」と名付けることにした。一部の調整員を除けば、ポルトガル語やフランス語等の非英語は隊員の方が得意とするところ。スペイン語やロシア語とかならともかくラオス語やクメール語といった一国一言語の言語を使える調整員はいないもしくは極々小数に限られるだろう。非英語を交渉レベルで使えるような日本人を探す/育てるよりは英語を使える現地人を雇う方がはるかに早い。日本語の場合でも同様なので容易に想像できると思う。


何度もこのブログに書いているけれども、モザンビークのような非英語圏でも英語の威力が発揮される場面が多い。人によっては気持ち悪いと感じる人もいるだろうけれども、それがないことによってコミュニケーションが図れない場合を考えればメリットの方がはるかに優る。そして英語が事実上の世界語であることは変えようのないこと。今後は「国家の品格」の著者のように英語教育廃止国語教育復興という非現実的な選択肢ではなく、英語中心の世界を前提として、そのデメリットについて考慮した教育が必要になってくると思う(日本だけでなく)。


余談として、高校のとき国語の1科目だった漢文という科目の存在意義が未だに分からない。本来の中国語とも違う読み方で中国の古典を解釈する意味って一体?