派遣049日目赴任

赴任

今日が赴任日。首都マプトでの生活ともお別れ。


5時半に起きて、6時にマプト空港へ。モザンビーク第2の都市ベイラの医療従事者学校に派遣予定の2名の隊員も今日が出発だった。ベイラ行きの飛行機の方が先だったので、彼女らを見送る形になった。


昨日と同じく、あっさりと別れる。次に会う隊員総会まで元気でいることを願うばかり。


任地到着

午後11時頃ペンバに到着。


今回は大学の車ではなく、調整員Tさんが手配したタクシーで配属先の大学へ向かう。


1か月前に訪れたばかりなので配属先に特に変わりはない。ただ、マプトに比べれば暑い。スラックスとYシャツは着ていたものの、ジャケットは着ないで正解だと思った。


Tさんと一緒に学部長Mr.Nephasに挨拶をする。Tさんはシニア海外ボランティアでフィジーに2年間いても英語が上達しなかったと言っていたものの、英語でMr.Nephasと話せていた。その後、彼の案内で自分が住む住居へ向かう。道が複雑なので行き方を覚えていない。


生活準備

荷物を住居に置いた後、同じ任地にいる先輩隊員のOさんと合流。SAMARという大学近くにあるレストランで食事をした。


昼食後、浄水器、バケツ、ガスボンベ、ホウキなど一人では持ちきれないようなものを買ってタクシーで運ぶ。このとき自力では買えなかったものとして、ガスホースがある。ホースはガスの卸元に直接行かないと購入できず、また、ちょっとした交渉が必要だった。交渉はT調整員にお任せしてしまった。交渉していた内容はよく分からなかった。100MT(約400円)余分に払えばすぐに買うことができるという話だったのでその場ですぐ支払い購入。


その後、Oさん、Tさんと別れ、タクシー運転手と一緒にガスボンベの設置を行う。この3人がいなければここまでスムーズに準備できなかっただろう。


ショックだったのはタクシー運転手はそこらへんにいるオジさんなのだけれども、普通に英語が話せる。自分は相当な時間数勉強しても大したことがないのに。モザンビークでは英語を話せる人が日本以上に簡単に見つかる。教育のおかげなのか、ポルトガル語がバックグラウンドにあるからという理由なのかはまだ分からない。


これから本当の活動が始まる。すでに去年の春募集への応募から1年以上が経っている。