派遣076日目先輩隊員Oさんの任地引き上げ

意外な展開

同僚のMendoncaがとうとう授業を行った。今日も自分が授業をしようとしていたのでかなり意外だった。先週強く彼に言ったのが効いたのかもしれない。


Rubyの式展開やModuleについてどれくらい分かっているのか疑問だったものの、講義は彼の仕事なので任せることにした。思わず時間が手持無沙汰になってしまったので空いた時間は無目的にネットサーフィンしてしまった。


先輩隊員Oさんの任地引上

今日は先輩隊員Oさんの任地引上の日。授業が終わった後、空港まで見送りに行く。


Oさんにはいろいろお世話になっていながら、見送りしかできないのがさびしい。プレゼントをしてもかさばるだろうし、そもそも何を送ってよいのか分からなかった。いろいろなアドバイスや食事の誘いがありがたかったのはもちろん、同じ任地に日本人がいるという存在だけでものすごく心強かった。


次にペンバに来る隊員のためにも語学とか生活事情についてしっかりしなければと思った。

肩書きは重要

Oさんを見送りにきたモザンビーク人の医者と知り合いになる。この国に1000人もいない医者のうちの一人。当然彼も英語が喋れる。


医者というだけで彼をかなり特別な存在としてみてしまう。尊敬の念と同時に病気のときに何とかしてくれるかもという打算的な考えが働いてしまう。


自分が自己紹介するときも大学で情報学(コンピュータ)について教えているというと相手の態度が変わる。


日本でも大学で教えているというとこの人すごいなと思ってしまうし、大学進学率が日本より全然低いモザンビークではなおさら。


コンピュータが調子よくなかったら見てもらおうという期待は感じるところはある。おそらく自分はペンバ市内いやカボデルガド州内でもトップ10ぐらいに入るくらいコンピュータについては詳しいだろう(前、出向していた会社の開発陣の中では下から数えた方が早かったが。。)。


大学が配属先でよかったと思うのはこういうときだ。肩書で人を見たり、見られたりするのは悲しいところではあるものの、これを利用してネットワークを広げたり、いろいろと情報を取得できた方がいいに決まっている。


こういうことを考えるときに就職活動のときUFJ銀行(今は三菱UFJ銀行)のリクルーターの人に言われたことを毎度思いだす。


「会社に所属しているからこそ、出会えたり付き合ってくれる人がいる。」


会社を辞めれば、同僚や取引先の人は1回や2回くらいは食事等に付き合ってくれるものの、会社にいたときと同じように関係を維持することは難しい。


歩いて帰る

空港で見送った後、歩いて大学まで歩いて帰る。行きは大学からタクシーで10分もかからなかったものの(100MT)、歩くと果てしなく遠い。


距離の長さだけでなく暑さが常についてくるので歩いて大学に通ったらそれだけで疲れてしまう。


40分ほど歩いたところで、先ほど知り合いになった医者の乗った車に拾われ大学まで送ってもらった。何ともラッキーだった。

Yさんからのアドバイス

Oさんが去ったという話をMr.Nephasにしたところ、帰宅後気を利かせてバラッカへと誘ってくれた。しかし、夜D社のYさんからOさんが使っていたバケツ4個とアイロンを受け取る用事があったので行くことができなかった。


Yさんがきたとき、住居の防犯面での不安点について指摘される。誰でも車で入ってこれてしまうし、鍵もハンマーがあれば一発で破られるとのこと。