派遣097日目進退について話し合い
ボランティア調整員のYさんがマプトからペンバまで視察にいらっしゃった。
今回Yさんは配属先の大学の副学長でペンバキャンパスの責任者も兼ねているMr.Ponsiと話をすることが目的。
何を話しあうのかと思ったら、他でもない自分のことについてだった。
- 一部の学生から自分の授業に対してクレームがあり、
- そのクレームが講義を担当している自分や学部長であるMr.Nephasではなく教頭(Pedagogic Director)に話が行った。
- 教頭からMr.Ponsiに連絡
- Mr.Ponsiから自分の代わりの教員を派遣するようJICAモザンビーク事務所に直接連絡
結構重大な話なので、電話が埒があかず、調整員のYさんが直接話をすることになった。
今回の経緯を全く知らなかったので驚いた。
講義中、学生の質問がよくある。しかし、よく聞き取れないので「Later, ask me」とか言って授業を(学生にとっては一方的に)進めてきた。それが原因だったのかなと今になって思う。
質問を後回しにされるとムカつくというのはイタイぐらいよくわかる。そして答えれられなかったり曖昧な形で巻かれると、教師の能力や知識、ひいては人格について疑問を感じるというのは自分も今までの学生生活の中で幾度も経験してきた。
大学側との話し合いの前にYさんと相談した結果、
- JICAのボランティア事業は派遣会社ではないので別の人間を用意することはできない。
- ボランティア(自分)に問題があるのであれば、JICAではなく、まずボランティアと話をするなど学内で調査や調整をするべきではないか。
ということを説明することにした。
今回の話し合いがうまくいかず、ボランティア事業を理解してもらえなかったり、また大学側が自分をいらないと言った場合、モザンビーク国内の別の配属先へ任地変更することもあるとのこと。
コンピュータ技術という職種で要請を出しているところは結構あるので、そういったことも可能らしい。
14時半から話し合い。会議のメンバーは
- JICAボランティア調整員 Yさん(日本人)
- UCM副学長 Mr.Ponsi(多分ポルトガル人)
- UCMペンバキャンパス学長 Mr.X(今日から赴任するらしく名前が分からない)(スペイン人)
- UCMペンバキャンパス教頭 Mr.Valerio(モザンビーク人)
- UCMペンバキャンパス管理部門長 Mr.Jordao(モザンビーク人)
- UCMペンバキャンパス情報学部学部長 Mr.Nephas(ジンバブエ人)
- ボランティア 自分(日本人)
と予想以上に大規模になってしまった。
Mr.Ponsiの言い分だと自分が英語でもポルトガル語でもコミュニケーションが十分とれていないので交替要員を要請したいとのこと。
それに対して、Yさんは
- JICAのボランティア事業の目的の一つには国と国との親善があって、派遣会社のようなことはできないとのこと。
- ボランティアには要請に対して適性をもった人物が選ばれている
- ボランティアは配属された初期の段階ではコミュニケーションが不十分な場合がある
- この大学に配属された前任のSさんやIさんも最初のうちはコミュニケーションで苦労したが次第に慣れていった
といったことを説明。
またMr.Nephasは
- 前任のI氏は素晴らしい仕事をしてくれた
- 今回問題となった科目の講師は本来別の人間が責任者だった
- ボランティアは今回の科目について良い仕事をしている
といったことを説明。
下記の点が問題だったことを皆で共有できた。
- 教頭のMr.Varelioが昨年赴任したばかりでJICAのボランティア事業についての理解が浅かったこと
- 学内でのコミュニケーションがとれていなかったこと
- 本来講師をするべき人間(Mendonca)がきちんと講師をすべきだったということ
自分からは
- 配属されたばかりでこの大学での教育方法や学生のレベルについての理解が浅かった
- 言語については努力して向上させている最中
- しかし慣れるまではこの大学のスタッフの助けが必要
といったことを、これまでになく流暢な英語で説明(何故何の準備もしていないこういうときに英語は出てくるのだ)。
とりあえず、このまま配属先に残って働けることが決定。
とはいえ、自分の英語の能力が十分であればこんな事態にはならなかったはずなので、素直には喜べない。
最初皆ポルトガル語で話をしていたものの、Mr.Nephasが途中から会議に参加したので、ポルトガル語が分からない彼のために英語にスイッチして話をしはじめたのを目の当たりにしたとき、この大学のスタッフの中で一番言語が出来ないんだなと痛烈に感じさせられた。
こうやって会議の経緯を書いているものの、7割くらいしか聞き取れていない。
夜、YさんからWimbeビーチのレストランDolphinでごちそうになった後、いつも以上に英語の勉強をした。
もう後には引けない。