派遣294日目ボランティアセミナー

今日はJICAモザンビーク事務所主催のボランティアセミナーが行われる日。モザンビークに派遣されている全ボランティアが集まっていろいろと行う。


他の派遣国であれば隊員総会は年2回行われるのだけれども、モザンビークの場合毎年7月に1回だけだった。年1回だけでは少ないのではないかということで、事務所側でこのような隊員が集まる機会を設けてくれた。


以下、ダイジェスト形式で。

事務所ローカルスタッフ紹介

ローカルスタッフ(現地採用職員のこと)の一人がアメリカに留学するため退職したため、新たにMr.Sergioというモザンビーク人が新たに採用された。彼の紹介と来月2月から隊員連絡所(ドミトリー)の清掃のために雇われたハウスキーパーの紹介があった。


自己紹介

派遣人数が20数人と少ないものの、新隊員(21年度3次隊)を含めて、お互いに顔を合わせたことがない隊員がいるので各自1分ずつ自己紹介。


20年度3次隊活動報告

20-3は3人。各自15分発表5分質問という形式で報告が行われた。


その中の青少年活動の隊員であるOさんはキリマネの文化センター(Casa de Cultura)にてアフリカンダンスの指導を行っている。州内外各地でダンスを披露するためにトランスポートを用意する必要がある。しかし、配属先に予算がないため、Oさんはダンスグループのメンバーとともにキリマネ市内にある企業を訪問してスポンサーを取り付けたりするなど、ダンスの指導以外にも精力的に活動をしていたのが印象的だった。


彼女の活動報告を聞くと、活動で必要なのが能力や経験以上にやる気だということを再認識させてくれる。


UNICEF職員による講義

講師はUNICEFモザンビーク事務所職員のSさん。Sさんはボランティア調整員Yさんがガーナの調整員時代の青少年活動隊員で隊員終了後は国連の職員としてアフリカ各国を渡り歩いている。


隊員時代の活動とUNICEFの活動を中心に講義がなされた。隊員活動時代に青空教室だった配属先のの学校に生徒と協力して校舎(しかも本格的な)を建てた実績を紹介してくれた。


またUNICEFのおおまかな活動についても聞くことができた。貧困にあえぐ子どもに対する援助活動だけでなく、財政分析や政策提言なども行っているというのは初耳であった。やはりJOCVとは違い、仕事の相手が被援助国の政府高官だったりするので地元住民と触れ合うことはほとんどないらしい。


健康管理員からの講話

モザンビークはイニャンバネ州のトーフォをはじめスキューバダイビングのスポットが結構ある。隊員でも休暇を利用してスキューバをやる人が結構多い。ということで健康管理員のOさんが経験した事故の事例紹介と事故が起きた場合の対応方法の紹介があった。


キューバダイビングのスポットがある地域には事故(特に減圧症)が起こった際に対応出来る医療設備および医療施設がないので緊急移送する必要がある。モザンビークの場合は南アフリカ共和国の医療施設まで行かないといけない場合も。簡単にまとめるとダイビング前後は無茶をするなということ。


交通事情マップ作成

今回のセミナーで一番面白いと思った企画。


各グループ5人5グループに別れて、モザンビークの交通事情マップを作成。具体的には都市間のミニバス(シャパ)の状態、道路の状態、所要時間、その他特記事項などを付箋に書いてモザンビーク全土の地図に貼りつけていく作業を行った。作成し終わった後は各グループごとに発表。


隊員が今まで派遣されていないニアッサ州を除いて詳細な情報が集まった。さすがは青年海外協力隊員といったところか。後日調整員が情報をまとめて各隊員に配布するらしい。


安全対策に関する講話

H調整員が講師となって数年前ザンビアで活動中の隊員が自宅で銃撃された事件を紹介。


モザンビークで銃を持っているのは警官だけれども、管理がきちんとなされている保証はないし、内戦が終わったのも十数年前の話なので犯罪者(および犯罪者予備軍)に流出している可能性は否定できない。安全対策を充実させるために事務所側でちゃんと支援しますよという話でまとまった。



この日の夜、今月末に離任するYさんの送別会と21年度3次隊の歓迎会がVintageというインド料理店で行われた。



余談として、この日の夜は隊員連絡所(ドミトリー)で水が出なくなった。自分がシャワーを浴びる前に止まったので、事務所側が用意していたホテルに移動して水浴&就寝。水が止まることなんてないだろうと思っていたけれども、事務所側で懸念していたことが現実になってしまった。T調整員グッジョブ&ナイス判断です。