派遣332日目マプト〜ヨハネスブルグ〜リビングストン

空港へ

4時頃起きる。なかなか眠れずにいたため、2時間ほどしか寝ていない。何度も空港に行ったことがあるし、乗ってきたけれども、なぜか緊張していた。国際線に乗るのもモザンビーク国外に出るのもはじめてということがやはり大きいのだろうか。


朝5時半にタクシーで空港へ。この時間は空港に行くものに限らずミニバス(シャパ)が走っていない。飛行機が自家用車を持っていたり、タクシーに乗れるだけの財力を持つ人種の乗り物だと実感する。

チェックイン

発券カウンターでEチケットからチケットに交換。ヨハネスブルグ行きまでしか渡してもらえなかった。ヨハネスブルグ〜リビングストン間はヨハネスブルグで改めて発券する必要があると言われる。


どこまで行くのかと聞かれてリビングストンと言ったけれども、係員はピンと来ていなかった。ザンビアと国名を言ってようやく通じたみたい。世界三大瀑布のヴィクトリアフォールがあると言っても、モザンビークではそこまで有名ではないのだろう。


ちなみにモザンビーク三大ガッカリ名所の一つにスワジランド国境近くにナマアシャの滝というところがある。

ヨハネスブルグ空港

空から見る南アフリカ共和国の大地はモザンビークのそれと変わらない。ヨハネスブルグ空港付近は道路が舗装されていたり、近代的なビルや工場があったりと都会そのもの。その象徴が空港だと思った。南部アフリカのハブ空港だけあって敷地が広いし、空港ビルも日本で見るような施設に近い。飛行機の多さにも圧倒される。


広いのでタラップから降りた後はバスで移動した。モザンビークで一番大きいマプト空港でもビルまで歩きで行ける範囲に止まるのでまず乗ることはない(一応あることはある)。


その後、トランジットするため南アフリカ航空のカウンターに行きリビングストン行きのチケットを発券してもらう。


この場所で約1年前、マラウィ隊と別れたことを思い出す。荷物のチェックゲートをくぐった後も会えるだろうと思っていたので、ろくに挨拶できないまま別れることになってしまった。


出発まで空港ロビーで待つ。免税店は数も豊富。CDショップなどもあったりする。本屋にはモザンビークにはないポルトガル語の参考書なんかも置いてあった。ただ、基本的に南アフリカのランドという通貨で払わないといけない。少額の支払いだとクレジットカードが使えない店もある。ドルで支払うとレートの関係で損をしてしまう。


したがって何も食べず飲まず買わずに搭乗の時間を迎えることになった。


搭乗口手前のベンチに座っているときAmazon.comの電子ブックリーダー、キンドルを使っている白人夫婦を見かけた。キンドルを見るのは初めて。思った以上に薄い。しかしながら、持ち歩くには若干大きいと思った。文庫本のような手軽さがないのが残念。いつか買うかもしれないけど。

リビングストン空港

2時間もしないうちに到着。来る途中でヴィクトリアフォールが見えた。雨季ということもあるけど、緑豊かな大地が広がっていた。


空港に入ってから行わなければいけないのは入国手続き。書類を書かないといけないのだけれども、ペンを持っていなかったので、誰かから借りる必要があった。初対面の白人紳士から借りて、書き上げて並ぼうとしてまごまごしていたら列のほぼ最後尾になってしまった。並んでいたのはほとんど白人観光客。おそらく旧宗主国のイギリスか南アフリカの白人が大半だろう。


ビザ代が50ドルだった。いまいちビザの存在意義がよく分からない。パスポートが身分と国籍を保証するもの。ビザがその国に滞在するため、行政サービスを受けるために必要な書類と解釈すればよいのだろうか?それにしても50ドルは高い。ちょっと前までは25ドルだったというのに。

リビングストン市内へ

空港からタクシーに乗る。マプト市内よりも暑い。聞いてみたら、まだまだ涼しい方らしい。看板が英語であることに感動する。全部読めるから。ポルトガル語だとたまに分からないものがあるけれども英語だとそういうことがない。

両替

タクシー運転手に案内してもらった市内の両替所で両替をする。1USドルで4600ザンビアクワチャ。レートが適性どうか分からないので50ドルのみ替える。モザンビークと同様でガラス越しでお金は交換、入り口には警備員がいた。

SIMカード購入

任国外旅行では旅行先の国のボランティア調整員に連絡する必要がある。ということで携帯電話のzainという通信会社のSIMカードを購入した。タンザニアでもzainのSIMカードを使っているので世界的なキャリアなのかもしれない。

Jolly Boyz Backpackers

今回の宿となるJOLLY BOYZ BACKPACKERSにチェックイン。この宿はバックパッカーの間で有名らしく、多数の白人が滞在していた。泊まったのはドミトリー(16人部屋)。1泊8USドル。


バー、プール併設。ビリヤード、卓球台、インターネットルーム等があった。その中でもクッションがいくつもあるくつろぎスペースが印象的だった。すでに何人かの滞在客が寝そべっていた。何日も滞在してもいいかなと思えるくらい。

土産屋

民芸品売り場に行く。モザンビークと売っているものがほとんど同じであった。チテンゲ(モザンビークでいうところのカプラナ)の柄が違うくらい。普段はこういうものを買わないけれども、今回は石細工を購入した。ヴィクトリアフォールにある石から作られるものということでモザンビークでは手に入らないのがわざわざ購入した理由。

SHOPRITE

大型スーパーに行く。バックパッカー宿にいた白人はここで食材を購入していた。特に買うものもないのだけれども、何がラインナップされているかを知りたかった。残念なくらいモザンビークにSHOPRITEにあるものとほとんど同じだった。ザンビアモザンビークと同じく自国では何も作れないことが分かってしまった。

袋詰め

道端で野菜を広げて売っていた。驚いたのはトマトがビニール袋に詰めて売られていたこと。モザンビークでは絶対にないことなのでびっくりした。

Aさんと

NTC(二本松訓練所)で一緒だった同期隊員のAさんとイタリアンレストランで夕食。Aさんは村落開発普及員としてリビングストン市内のNGOで働いている。Aさんとは会うのはほぼ1年ぶりで訓練所でもトータル30分も話をしていないけれども、会話がはずんだ。彼女がタクシー運転手やレストラン店員と英語で会話をしているのを見て、ザンビア公用語が英語だなという当たり前のことを思った。



余談として、AさんはNTCにいた同期隊員の中で1、2番ぐらいに美人(だと思う)。あんなに美しい人がこんなアフリカまで来てしまう理由って一体なんなのだろう。